他力本願

新潟で農家をやっている伯父に、「他力本願」の意味について
話を聞いた事があります。


他力本願というと、大した努力をしなくても
南無阿弥陀仏と唱えれば、仏様の力によって自分の魂が
救われるとか、他の力に頼る事・・・と勘違いしている人が多い
と笑いながら言ってました。
私は、他力本願って正にそういうことだと
ずっと思っていました。
伯父の言う勘違い・・・(^ ^;)
(他力本願の本当の意味を教えてくれる人なんていなかったし)


本当は・・・
人間は自分の意志でこの世に生まれてくることはできない。
何かの意味があって、生み出され生かされているのだから
あるがままの自分、環境を受け入れ
我欲を捨て、自分が生かされている状況(他)に身を委ね
寿命を全うする。
それが本来の「他力本願」という意味だと。
(細かく覚えていないので正確ではないかもしれませんが)


難しいけれどそういう生き方ができれば
迷うことなく、恐れることなく、自分を卑下することなく
他を妬むことなく、日々暮らせるんだろうけれどなぁ。。。
苦しい時こそ、そこから抜け出したかったら
そういう考え方が大事なんだろうけどなぁ。。。
名も無い小さな花が誰も見ていないところで
与えられた力をフルに発揮して花を咲かせ、種を残していく
そんな生き方かなぁ。。。と
そんなようなことを伯父は言っていました。


でもそういう生き方をするのは、とても とても難しいです。。。
頭では理解できても、心と身体がそのように動けません・・・
そんなことができたら
生きたまま仏様になってしまいそうな気がします。
こんな事を言っている私はこの歳になっても
まだ本当の苦しみや悲しみを知らないのかもしれません。。。


先日起こったイギリスでの同時多発テロのニュースを
連日聞いていて、なぜか伯父が話してくれた「他力本願」
の意味を思い出してしまった一日でした。