4年半ぶりに生まれ故郷の長岡へ

実家の兄から先月から度々電話連絡があり、『92歳になる母の具合がちょっと心配になってきた』とのことでした。
5年程前からディサービス、ショートスティ、とお世話になり最近特別養護老人ホームでお世話になっているとのことでした。特養に入るまでは歩行器を使って自分で歩いていたようですが、自力では歩けなくなって車椅子を利用するしかなくなったようです。
当然認知症の方もかなり進んでいて、兄のこともどこのどなた?という感じになっているから、会ってもショックを受けないように、とのことでした。私としては経過も聞いていたし義父母の介護の経験もあるので、その心配はいらないよ、と伝えました。
実は昨年の秋頃母の直腸に癌が見つかり、普段見てもらっている主治医に相談したら92歳という年齢を考えると開腹手術をして癌を取り去っても、むしろ体力を奪ってしまって寿命を縮めてしまう恐れがあるので、本人が苦痛を感じないように様子を見ながら見守って行きましょうということだったそうです。ところが先月急に大量の下血があり緊急入院することになってしまって、かなりげっそりしてしまった、母がかなり弱ったからいつでも会いに来てやって欲しいとのことでした。点滴をしながら必要なら輸血も考えていたそうです。
病院には私たちは入れないので、母が退院して様子が落ち着いたら行くことにして連絡を受けてから約一か月ほど経った先週に行って来ました。
こうなるまでに、母が兄や義姉さんに迷惑や心配をかける事は当然あったわけで、連絡をもらう度に離れたところで心配するしかない私でしたが、コロナのことや私自身の身体のこともあったので、兄や義姉さんに余計な心配も掛けたくなくて今頃行ってきたわけです。

母は退院してから何日か経っていたので、食に斑はあっても食べられる範囲で食べていたのでだいぶ体力も回復し、ベッドに寝ていたわけではなく車いすにシャンとした姿勢で思ったより元気な姿で待っていてくれました。
車いすに座って面会場所で壁に貼られている展示物を眺めながら、正面に顔を戻したりまた壁の方を眺めたりしながら手持無沙汰な様子でした。
想定内の事ですが、「ご無沙汰して悪かったね、久しぶりだね」と言ってみたのですが、すまなそうな顔をしながら首を横に傾げて、「私は昔のことよくを思い出せなくて、誰だかわからなくてごめんなさい」と言ってくれました。「娘の○○子だよ、覚えていないかな?」とも言ってみましたがやはり思い出せていない様子。無理もないですね (^ ^;)
極力母を責めるようなトーンにならないように気をつけてやってみたのですが・・・。そこで主人が、ほんの一瞬だけと言ってマスクを外して顔を見せたので私もマスクを一瞬だけ外しました。主人が「俺もお母さんには大変お世話になったんです。この人の亭主です」と、とてもにこやかな顔で言ったら、母もつられてすまなそうな顔からニコニコ顔に変わり、思い出せなくてもそんなに気にすることはないかもしれないという雰囲気に変わりました。そこで母の孫である私の息子の名前を出して、「覚えている?」と聞いてみたら、「あぁ、・・」と覚えているようだったので、「私はその子の母親だよ」
と言ってみたら、そこのところが繋がらないという困り顔で、私に「ごめんなさい」とまた謝っていました。私は視点を変えて、母に「お母さんって年齢の割に皴がないね、肌がきれいだね」と思った通りのことを言ってみたら、かなり嬉しかったようで、一生懸命に顔をマッサージするジェスチャーをしながら、「暇なときにいつでもこうやって皺を伸ばしているんだよ」と照れながら嬉しそうに言ってくれました。 そんなことをやっているうちに制限時間の15分が過ぎてしまったので、母の手を握りながら「また来るから元気でいてね」と言って兄夫婦と私たち夫婦4人で帰ってきました。そんなこんなでとても穏やかに話をしていた母を見て安心できたし、癌を患っているとは思えないほど元気だったので、行くときより晴れ晴れとした気持ちで帰ってくることができました。                                     兄と義姉さんには感謝です。

道中の懐かしい景色を行くときよりも楽しみながら眺めることができました。

                                             雪国で見られる特徴的な屋根です。                       雪がある程度積もったら、切り妻の屋根の中央で雪が割けて屋根から落下してくれます。

   

   

 

羽生で普段お世話になっている人たちにと思いお土産も買いました。
岩塚製菓の工場直売のおせんべいです。                     かなり大量に買いました  r(^ ^;)

   

   

   

 

   岩塚製菓を出た後、懐かしい八海山を確認することができました。

   

 

   関越自動車道に乗る前に浦佐駅の前を通りました。 

   

 

浦佐駅前にある、角栄さんがよっしゃよっしゃと言って手を上げている銅像です。

   

 

関越道に乗ってから見えた景色ですが

山に雪が残っていて、気温が高いせいか水蒸気が上がっていました

   

   

   関越トンネルの上り線の入り口

   

   

 

  トンネルの内部です

   

 

   これだけは長岡に向かう下り線で見えた谷川岳の景色です。

   

 

 

兄と義姉さんに心配されながら、長岡を出発して道中を楽しみながら        無事に埼玉の自宅に到着できました。