おじいちゃんのこと

9月28日の朝早い時間におじいちゃんが息を引き取りました。
夜中の1時頃病院から電話がありまして、お宅のおじいちゃんの
酸素飽和量がかなり低くなっていますのでできたらおいでください。
お宅のおじいちゃんのことですから今までのように
また持ち直すかもしれないのですが、かなり呼吸が弱くなっていますので・・・
主人と私とでササっと服を着替えて病院に走りました。
声をかけると数値が良くなったりしていましたが
だんだんその度合いも小さくなり、私がおばあちゃんのことを
迎えに家に戻って主人が一人でいるときに、なんだか息をしてないぞ
と思った主人の「おやじ!! しっかりしろ!」と言う声に
大きく「ふぅ〜」息をして
そのままそれっきりになったとのことです。
看護師さんに来てもらって、「○○さん!、○○さん!」
と呼びかける声にも反応がなく先生を呼んで他の家族の方が見えるまで待ちましょう、と。
主人は私がまだちょうど家に到着したばかりでおばあちゃんもすぐには出られないと見て
息子夫婦に連絡を取ったらしく、息子と嫁さんが「先に行ってるからね。」と
急いで家を出てくれました。息子夫婦が到着したところで、先生から
「永眠とさせていただきます」と、時間が伝えられたそうです。

昨日葬儀が終わり、無事におじいちゃんを送ることができました。
今お骨になって、お段の上にいます。
遺影は息子と嫁さんの結婚式のときの写真で、とぉ〜ってもにこやかな
いい笑顔で笑っている写真です。
正面を向いて笑っている写真がこれしかなかった、と息子が選んでくれました。


私はおじいちゃんの介護をするときに、もちろんおじいちゃんのためもありましたが
自分が後で後悔しなくて良いように、と思ってやってきたような気がします。
なので、今はおじいちゃんがいなくて寂しいことは寂しいですが
やってきたことに後悔の気持ちがほとんどないので、今こういう
穏やかな気持ちでいられることに、おじいちゃんに感謝しています。

私は祖父母がいない環境で育っていますので、行く行く家族の介護なんて
できるようになるんだろうかと思っていましたが、「けっこうやるじゃん私☆」
と思えるくらいにおじいちゃんのお世話ができました。
おじいちゃんはちょくちょく私に「お前さんには面倒かけるなぁ〜、悪いなぁ〜」と
私を労ってくれていましたので、それもエネルギー源になっていたのだと思います。

病気で身体の自由が奪われていたおじいちゃんでしたが、今は好きなように
どこにでもいける状態になっているらしく、よく息子がおじいちゃんの気配を感じるとか
玄関のところにいたから、そんなとこにいないでこっちに来なよと言ったんだ、とか
言うので、息子に今おじいちゃんこの辺にいる?と聞くと、気配を感じないから
きっと天気が良いから家の周りを散歩しているのかも、ということがよくあります。
私には見えないのがちょっと残念(^ ^;)