山本五十六

長岡でお墓参りに行った帰りに山本五十六
生家の前を通って来ました。
車でサーッと通っただけですが
綺麗に整備されていて公園になっており
立派な胸像が建てられていました。


そういえば高校生の頃
山本五十六のお墓のあるお寺の住職さんの娘さんが同級生で
結構仲良くしていたのでそのお寺に遊びに行ったことが
あります。
彼女に「これが山本五十六のお墓だよ」と紹介され(笑)
二人で手を合わせたことを思い出します。
とても背が高く肩書きなどたくさんの文字が刻まれている
立派なお墓だったように記憶しています。


昨日、一昨日と
主人の父から終戦の頃の父の様子を聞きました。。。
原爆が落とされる頃には京都にいて
噂で
アメリカはマッチ箱一つくらいの大きさで物凄い破壊力のある
「新型爆弾」を開発し、それを日本に落とすそうだ、と
大騒ぎだったそうです。
素肌を出していると火傷をするからとにかく素肌を隠すように
と上官からお達しがあり、真夏の物凄い暑さの中で
長袖のシャツを着て、頬かむりをして作業をしていたそうです。
まだ「原子爆弾」という言葉もなく
原爆については、そんな程度の情報や知識しかなかったんだよ
と言ってました。


終戦を迎えた後
長男である者、空襲で家が焼けた者、は優先的に
家族の元に帰れたのだとか。
父の場合両方があてはまったので、8月23日には
新潟の家族の所に帰れたそうです。

その時の父の心境はというと
はっきり言って戦争に負けたことなど、二の次三の次だった。
戦争が終わり兵役に就かなくてよくなるということは
自由に行動ができるということなのでそちらの嬉しさの方が
勝っていた、と言っていました。
「自由に行動できる」なんて今では当たり前すぎるほど
当たり前のことなのに。
そんなことは人間として最低限の権利なのに・・・


いかなる理由があろうとも
戦争などというものは、この世にあってはならないものだと
言ってました。。。