8月6日、9日

それぞれ広島、長崎に原爆が
投下された痛ましい日です。
この頃になるといつも思うことがあります。


原爆投下の候補地に、私の
生まれ故郷である新潟の地も
入っていた、ということ。。。


高校生の頃、地理の授業でその事実を知り
ショックを受けました。
ついでになぜ歴史ではなく地理の授業でだったかというと
終戦後、日本の国は敗戦国としてアメリカやロシアその他
勝戦国のいくつかの国 (詳しくは忘れましたm(_ _)m)
に分断される計画があった、という資料がその頃
世に出てきた(戦後約30年)ということで
高校生の女の子がショックを受ける程の重い事実を
(計画通り分断されていたら日本は今頃どうなって
いただろうということ)あえて話してくれました。


その先生の話によると
その当時日本びいきだった、中国の「蒋介石
という人によってその計画は実施されなかった、という
ことらしいです。
蒋介石」という人の名前くらい覚えておきなさい
と言われた事をはっきりと覚えています。
蒋介石」という人物が日本という国に於いて
どういう意味を持つ人だったのか、いろいろな見方があると
思いますが、私はずっと「蒋介石」という人のお陰で
日本は分断されずに済んだのだ、と記憶してきました。


もし新潟に原爆が落とされていたとしたら
爆心地はおそらく長岡だったに違いないと思われて
なりません。
真珠湾攻撃を成功させた山本五十六元帥の出身地であり
軍需工場もあったから。。。
ただ、天候の具合で目標を定めにくかったため
新潟地方に投下するのは避けた、ということらしいです。


新潟にもし原爆が投下されていたら・・・
主人も私もこの世に生を受けていなかったかもしれない。。
もちろん息子も・・・。
そんなことを止めどなく考えていると
運命か宿命か、今この自分という意識を持って
些細な事にも幸せを感じて生きていられる、この素晴らしい
現実に感謝するばかりです。
広島や長崎で運命を狂わされた方達には本当に
申し訳ないのですが。。。


せっかく繋がれた命
どんな場合であっても、一つ一つの出会いを
自分の人生にとってかけがえのない
「今、生きているという明し」として大切にしていきたい。。
高校生の頃、原爆投下についていろんな角度から
話を聞いてからずっと、今頃の季節になると思うことでした。


戦争体験の無い私であり
父や母からの体験談を聞いたことしかない私です。
日常に埋もれ、内側の大切な事をボンヤリと忘れそうになる
気持ちを引き締めるきっかけを作って下さった
地理の先生にはとても感謝しています。