22年ぶりの町内班長

今年度は22年ぶりに町内の班長が回ってきました。
新しい年度になったとたんに土曜日とか日曜日になると
用水路の泥上げとか、惣徳院という地域のお寺で大般若会とか
飛来矢神社(ひらいしじんじゃ)の春の祈願祭、等々いろんな行事に
参加しなければならなくて、忙しくやっています。そんな中
3月の下旬におばあちゃんが軽い脳梗塞で入院したり、
主人がインフルエンザのB型に感染したり、それが私のところへ回ってきたり
主人が参加したほうが良さそうな行事に私が代理で参加したりしながら
合間合間を縫いながら、あちこち掛け持ちでやっている仕事も何とか
うまく休みを入れながら、やっと落ち着いてきました。

“飛来矢”と書いて“ひらいし”、と読む変わった神社の名前ですが
これは名前にいわれがあるようです。

羽生の郷土作家の方のブログによりますと

俵藤太秀郷(『新編武蔵風土記稿』)を祀り、上村君村の鎮守でした。
かつては「飛来石神社」と記し、この文字のごとく、
石が飛来したことから命名されたと伝えられています。
すなわち、古い言い伝えによると、
下野栃木邑から大きな“石”が飛来したというのです。
天文年中(1532〜1554)にその石を崇拝し、
奉祀したということです。

それを「甲石」(かぶといし)と呼び、
実際に社殿の裏に祀られています。
周りを柵が囲い、盛り込まれた土の中から少し顔を出しているのですが、
大きな石であることは一目瞭然です。
真相はともあれ、とても興味深い石であることは確でしょう。
林城主の松平左近将監も、
この“甲石”を見に来たと伝えられています。

ということで、その「甲石」を写真に収めてきました。
利根川の堤防工事のために昨年飛来矢神社は移転しまして新しい社殿に
生まれ変わりました。石もまたその新しい社殿の裏に鎮座しています。




おばあちゃんのこと

おばあちゃんも、入院してからちょうど一ヶ月経った今日退院してきまして
ホッとしています。が
でも実はアルツハイマー型の認知症がかなり進んでいまして
物盗られ症候群や被害妄想など同じ屋根の下で生活していると、
きついことが間々ある状態になっています。
要介護1で、老人保健施設でデイサービスを利用できていますので
プロの人たちの助けを借りながら何とかやっています。
看護士経験のある主人の妹がケアマネージャーの仕事もやっていたことがあり
ずいぶん前に「認知症の症状の人のお世話もよくあるけど、人間って先に
分からなくなった方の勝ちだよね。でもその人がどういう心持で日常生活を
送って来たか、それが理性で抑えられなくなって全部表に出てしまう気が
するんだよね。だからある意味怖いよねー」とよく言っていました。
我が家のおばあちゃんの様子を見ていると、以前義妹が言ったその言葉が
しょっちゅう頭の中を駆け巡ります。その義妹がよく私の愚痴を聞いてくれて
います。
義妹が「お姉さん、あまりまじめに考えない方がいいよ、適当な感覚で
やっていないと続かなくなるから、程ほどでいいから」と掛けてくれる
言葉や気持ちが何よりの救いになっています。
息子である主人のほうが私よりもきつく当たられ、数倍つらい思いをしている
のもわかるので、私もテキトーに頑張ることにしています。
息子や嫁さんも主人と私のことをとても心配してくれて、介護認定を
受ける際に、意見書を書いて下さる先生に初めて認知症の検査をお願いして
受診するときは率先して付き合ってくれたり、おばあちゃんと同じ屋根の下で
生活をしている主人や私ののメンタルな部分のフォローをよくやってくれて
います。
まずまず仕事をしながら毎日大変ではありますが、一人じゃないと実感できる
環境に感謝しています。