今月8月は第一水曜日ではなく第一木曜の7日に
さくら咲く会のサークルがありました。
図書ボランティアの活動もあり、あれからストップしていた籠が
やっと完成しました。

リーダーさんは、「これでお盆でお出かけするときに使えるね~」
と言って笑っていました(^m^)
その前の第一土曜日の2日には、夫の新盆供養の日で
檀家のお寺の本堂に、今年新盆を迎える仏が出た遺族の人が
お位牌とお布施を持って一斉に集まって、ご住職にお経を読んでいただきました。
一家族1人~3人までという人数制限もあったため、仕事で時間が取れなかった息子は出席しませんでしたが、私と嫁さんの二人で行って無事に新盆供養をしていただき、帰ってきました。
8月2日と言えば、長岡のお祭りで花火があがる日です。
行けないのでYouTubeで見てました。
2004年の中越地震の後から始まった、フェニックスです。
地震の後の復興を願って、フェニックスがあがるようになりました。


大東亜戦争当時、長岡市も終戦間際に空襲を受け焼け野原になりました。
その後鎮魂と復興を祈念して花火があげられるようになったと聞いてます。
三尺玉です




その時の空襲を経験したという母からも直接話を聞いています。
当時小学生だった母が、一つ年下の妹と手をつないで逃げたと。
田んぼの中を逃げたけれど、その頃はまだ大きな建物などは殆どなくて
長岡駅の辺りが火に包まれて真っ赤になっているのが遠くからもよく見えた。
怖かった。でもこれ以上どこかに向かって逃げても無駄かもしれないと思い
逃げ回るのを止めて燃えている駅の方を見ていた。
B29の音が遠ざかるのを確認してから家に戻ったとのこと。
その話を聞いたのは、私も母と同じ小学校高学年の頃でした。
私と同じような年頃に、母は戦争で怖い思いをしていたんだなぁ
と、とても驚きショックを受けた覚えがあります。
話しは戻って
14日には施餓鬼会があり、先祖代々と夫の戒名で作っていただいた
塔婆を2枚受け取ってお墓の後ろに供えて、お墓参りをしてきます。
それで今年の我が家の新盆の行事が終わります。
夫が亡くなった現実が日常となりつつありますが
その日常にまだまだなりきれない自分もありながら
・・・でも時間はどんどん過ぎて行きますね。