新潟県中越地震

なんとか無事に埼玉に戻りました。

実は、私の生まれ故郷 メディアでよく名前が出ている長岡市なんです。
お盆やお正月には必ず帰省している身です。


23日は、美味しい新米の調達に主人と二人長岡に向ったところ
3:00頃到着しました。
主人の両親と 主人、私4人で一息ついた後、夕ご飯の支度をして
さあ、食べようかとしていたところ あの、大激震に遭ってしまいました。


長岡で二人だけで生活をしている主人の両親を、この度の地震の恐怖の中
二人きりで過させずに済んだ事は本当に、不幸中の幸いだったと
神様に感謝しています。


あまりにすごい揺れだったので、立っていることができずそこに
じっとしていたのですが、一分も揺れていたのかどうかわかりませんが
とてつもなく長く揺れていたような気がしました。

主人の「ここにじっとしていたら家の下敷になってしまうから
みんな外に出ろ!」という叫び声で我に返り母と手をつないで
外に出ました。

4人全員怪我も無く無事逃げられましたが、外へ出ても揺れが止まず
ずっと足の下で、ドドドドドーーーーー  ゴゴゴゴゴーーーーー
と地響きのような音が続いていました。


とても怖かった・・・・・。


それから、電気、ガス、水道、電話、ライフラインが全てストップし
主人の携帯電話たった一つだけがライフラインでした。


それからはご他聞に漏れず、車の中で毛布に包り眠れない一夜を明かし・・・・・。


とんだサバイバル生活を強いられ・・・・・。

一日置いて水道が復旧。その次の日に電気、電話が復旧。
ガスは未だにストップ。


家の倒壊は免れたものの
屋根瓦はあちこち飛んだり、家の中は大変な状態でした。
仕事柄、屋根は専門ではないにしろ、セメントモルタルを使って
修理できる状態でしたので速攻修理し、家の中を片付け
なんとか普通に生活できるように一生懸命頑張りました。


我家は震源地から直線距離で10Kmくらいしか離れていない所なので
揺れはかなりきつかったはずですが、本当に良かった方だと思っています。


まだ地震の余韻が心に少し残っていて、地に足が着いていないような
ところがありますが、避難生活はしなくて済みましたし
食べ物も長い時間ひもじい思いもしましたが、なんとか自力で確保できましたし
今、こうやって主人の両親と離れてもさほど心配はいらなくなりました。


この地震では、神様が味方してくれていたとしか思えないような事が
たくさんありました。
ですから、恐怖とは戦っていましたが、なぜか凹んでいないのが
不思議なくらいです。


今回の地震で亡くなられた方々のご冥福を祈り
怪我をされたり、具合が悪くなったり、家が倒壊したりされた方々には
心からお見舞申しあげます。



  本当に 本当に  生 き て い て よ か っ た !